三度の飯より授業が好き

生徒の学力向上に真正面から挑む塾講師の勉強ブログ

【読書】勉強大全 伊沢拓司

【基礎=簡単ではない】

そもそも「基礎」とは何なのでしょうか。使う文脈によってその意味は大きくブレてきますから、ここでバシッと決めてから進めましょう。

僕がここでいう基礎とはずばり、「教科書に直接書いてあること」です。数学なら「例題」として掲載されているような事項まで、歴史なら諸々の単語とそれらの意味付けやつながり、英語なら通り一遍の単語と文法事項などです。大学入試に限っては「センター試験の範囲」と考えても、そう違いは無いでしょう。

ここで基礎について決めたので、その上にある「応用」についても決めてしまいます。「基礎より難しいもの」として定義されがちな応用ですが、ここでは以下のように定めます。

応用とは、「基礎を組み合わせてできること」とします。数学でいくと、やや込み入った内容ですが確率漸化式なんかがこれに当たります。歴史なら「この年代に起こったこれらの出来事は、後世にどのような影響を与えたか論ぜよ」みたいな問題がそうですね。もちろん、基礎と基礎を組み合わせて作られた内容が教科書に載っていることもあるんですが、それは教科書で説明されているからという理由で「基礎」に含めます。

さて、基礎を決めましたから、今度は「完成」を決めましょう。

「基礎を完成させる」なんて言ったって、なにもセンター試験で満点取れとかいう話ではありません。国語なんて満点が誰もいない年もあるわけですから。例として挙げたのはセンター試験の点数ではなく、あくまでセンター試験の「範囲」の話です。

ここでの「完成」は、「どの問題が出ても、どのジャンルからの出題かある程度わかること」とします。

別に解き方そのものを忘れていたり、知識が抜けていてもかまいません。「どの道具を使えばいいかだけはとりあえずわかる」状態です。

しかしだ。「教科書の範囲をだいたいさらうだけで基礎は完成?意外とチョロそうじゃね?」と思ったあなた、甘い。基礎、イコール、簡単などと思っていませんか?

基礎的な事項だからといって、それをマスターするのは簡単なことではありません。

「九九」は小3以降の算数の基礎になる内容ですが、みんな苦労して覚えるものです。

(中略)

点数を安定させ、自分の努力をプラスに反映させるのに必要な「基礎の完成」。そうそう甘くはありません。教科書を丁寧に追い理解することをナメない。そこがスタートです。(P.194~197)

☞「基礎=簡単、応用=難しい」このあまりにも定着したイメージが、学力向上の妨げになってしまっている場面にはよく遭遇する。

勉強はしているのに、なかなか点数が伸びない生徒に限って、「教科書の例題や、計算問題なら(簡単だから)できる」と自分では思っているものの、実際に説明させてみたり、解かせてみるとあやふやな部分が実に多い。

私はよく「基礎=できていないと話にならないが、それだけできていても点数には結びつかない土台」などと生徒には説明するが、ここで難しいのは、基礎は”直ちに点数に結びつかない”ことが多いため、成果を実感しにくいということだと思っている。

基礎を固めないまま、応用ばかりに取り組もうとする生徒が現れるのも、勉強の成果を実感しにくいことと無関係ではないだろう。

伊沢氏が言うように、基礎の役割と範囲を明らかにすること。どれだけ取り組んだのかが分かるように工夫することなど、モチベーションを下げない工夫が求められる。

 

【暗記=やみくもというイメージを捨てよう】

「暗記」は「諳記」とも書きます。本来の意味としては「諳記」の方が適切なように思えるのですが、「諳」の字があまりなじみのないものであるため、前者が一般的になっています。

「諳」は「そらんじる」と読みます。「何も見ないで言えるように覚える」ことです。

ですから、「暗記」というのは「何も見ないで言えるように覚えること」というのが本来の意味です。「諳誦」の「諳」ですね。「暗い」という字がもたらすマイナスのイメージは本来の意味には含まれていないのです。

入試というものは、自分の中にある知識を、教科書などを見ない状態で繰り出して解答していく作業です。つまりは、「何も見ないで言えるように覚えたこと」を使って点数を取っていくわけです。

(中略)

マクロ暗記とは、「大枠を覚えておけばいいもの」に適した暗記法のことです。

例えば、数学の証明。よく記述式で出題されますが、模範解答と一字一句同じ解答が求められるということはないですよね。歴史の記述問題も、大まかな事実のつながりや、事件の意義について覚えている必要はありますが、少しでもピースが欠けたら即アウト、ということはありません。学校や会社で行うプレゼン原稿を覚えるのも、この暗記タイプに入るでしょうね。

要するにこれら「マクロ暗記」モノは、どれも「大事な構成要素と、それらのつながり方さえ覚えておけばいい」わけです。

(中略)

マクロとは反対に、細かな所にフォーカスするのがミクロです。マクロ暗記として説明した内容から、ミクロ暗記についてもある程度推測がつくでしょう。

「ミクロ暗記」が必要なモノは、細部まで覚える必要があるものです。漢字の書き取り、英単語の綴り、社会の用語、数学の公式などなど。

ここに挙げたものはどれも「テキストに書いてあることをそのとおりに再現することに意味があるもの」です。英単語も漢字も、細部が違ったら別のものになってしまいます。

(中略)

暗記の定義から考えたとき、より目的=「知識を何も見ないで再現して点数につなげること」に近い練習法は、「再現できるか試してみる」ことだということです。

(P.223~231)

☞最近は読解力重視の問題も増えてきたが、それでも問題で問われていることを「読解する」(=文章を構成要素に分解して整理し、要するに何を言いたいのかを明らかにする)ためには、やはりその構成要素についての知識が必要になる。

そこで知識を「覚える」ことになるわけだが、ここで何かと目の敵にされやすいのが「暗記」である。

伊沢氏が書いているように「やみくもに覚える」というイメージが定着してしまっているためなのだろうが、目的無くむやみやたらと丸暗記しようとするのであればともかく、そのイメージを否定したいがあまり、覚える必要のある知識まで覚えずに済まそうとするのは賢い選択とは言えない。

ここで紹介されているマクロ暗記・ミクロ暗記という分類は、覚える対象(目的)に応じて暗記の在り方を分類している。

理科においては、まさにこの「マクロ暗記」を求められる内容(=計算問題、記述問題、作図、説明文選択…etc)と「ミクロ暗記」(=語句、空所補充…etc)が求められる内容が混在していると言ってよいだろう。

授業の中で、いま教えていることはそのどちらにあたるのかを明示できれば、暗記に対する生徒の心構えを作ることができるかもしれない。

 

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クイズ王・伊沢拓司氏が、自身の経験をもとにロジカルに勉強法の「原理」を書き下ろした本書。大学受験の事例が中心だが、中学受験や高校受験においても共通するエッセンスが詰め込まれている。

「基礎とは何か」「暗記とは何か」…いわゆる「勉強ができる人」が無意識のうちに実践していることを、かなり言語化することに成功しているといえるだろう。

自分が受験生の時に、ぜひ読みたかった一冊。

 

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