三度の飯より授業が好き

生徒の学力向上に真正面から挑む塾講師の勉強ブログ

【読書】授業の腕をあげる法則 向山洋一

【第六条=細分化の原則】

指導内容を細分化することが必要なのである。

つまり、「細分化して、解釈をし、イメージ化せよ」ということである。

子どもには文字として与えるより、映像・音楽として与えよということである。

ただし、国語・算数などの指導では「イメージ化せよ」という部分がかわる。

「細分化して、解釈をして、発問を考えよ」

この場合も解釈の裏返しを発問と考えている人がいるが、それはアマである。

たとえば「電車の運転手さんはどんな仕事をしていますか」というような問いである。これはアマの質問だ。

「電車の運転手さんは笛をふきますが、誰に聞かせているのですか」というように、焦点化して具体化することが必要となる。このような発問の時、子どもは動くのである。

(P.41~42)

☞「スモール・ステップ」ということがよく言われる。指導する内容を分解し、段階的に指導していく原則のことだが、向山さんはその上で「解釈をし、イメージ化せよ」「解釈をし、発問を考えよ」と言っている。

スモール・ステップに分解するだけでは、生徒は授業についてくることはできない。

分解したステップを、生徒に伝わる言葉や図に置き換え(=解釈)、イメージとして、或いは焦点化(=発問化)して”伝えなければ”生徒はステップを進んでいくことはできないのだ。

 

例)「問.無性生殖で世代を重ねても形質が変わらない理由を説明せよ。」

 ①説明に必要な語句を書き出し、そこに文を付け足していく(細分化)

 ②記述する文の「骨格」を見つけ、そこに肉付けしよう。(解釈・イメージ化)

 ③この理由を説明する上で、外してはいけない語句は何?(発問1)

 ➡「遺伝子」「変わらない」

 ④「遺伝子」を修飾する(説明する)言葉を付け足すとしたら?(発問2)

 ➡親から受け継ぐ「遺伝子」「変わらない」

 ⑤理由を説明する文では、語尾に何をつける?(発問3)

 ➡親から受け継ぐ「遺伝子」が「変わらない」から。

 

細分化は、解釈、イメージ化・焦点化(発問化)とセットで行うものと心得たい。

 

【第九条=個別評定の原則】

誰がよくて誰が悪いのかを、はっきりさせてやることが教育で大切なのである。

しかも、どこが悪くて、どのようにすればいいのかをはっきりさせてやることが大切なのである。(P.63)

☞前半の「誰がよくて誰が悪いのか」の部分については、今の時代では配慮が必要なように思うが、後半の「どこが悪くて、どのようにすればいいのか」をはっきりさせることの重要性はそのまま変わっていない。

例えば問題演習の際、典型的な誤答やミスを解説する前に示し、どうすれば正しい答えを導けるか道筋を明らかにすると、同じような誤答やミスをしている生徒はそこに気づいて修正することができる。

そのためには、生徒がどこでつまずいているか、机間を巡って情報を収集することが必要になる。生徒の間を何となく歩くのではなく、情報を取りに行くために歩くという目的を持ちたい。

 

【根拠をもって実態をつかめ】

まず、教室の子どもたちの実態を正確に理解をすること、ここからすべてが始まる。

正確というのは「根拠をもって数値に示せる」ということである。(中略)

たとえば、太郎君、次郎君の二人が引き算でつまづいていたとしよう。しかし、この二人はちがう人間だから、同じようにまちがえるはずはない。そこで、私は次のように聞く。

「太郎君は、どういう引き算はできて、どういう引き算はできないのですか。具体的な例題を示してください。次郎君も同様に、例題を示してください。」

例題を示せるなら、太郎君が「どこの部分でつまずいているか」が分かっているのである。

例題が示せないのなら「漠然ととらえている」のである。

医者が「ああ、どこか痛いのですね」と大ざっぱにとらえているみたいなものである。

さらに、クラスの中で誰と誰と誰がつまづいていると示せないのなら「実態をつかんで

いない」のである。(P.147~152)

☞重要なことだが、意識的に行わないとなかなかできないことでもある。授業中にこれらの診断的行為を的確に行うのは、時間的・労力的に難しいことも実感としてある。

現時点で解決策として思い浮かぶのは、

①誤答をパターン化して、頭に入れておけば把握は早くなる。

②診断のタイミングを決める(問題演習中、宿題チェック中など)

特に、①は日ごろからの積み重ねが必要だと思う。つまずきデータベースのような形で、蓄積していきたい。

 

【授業観察と技量】

同じ授業を見ても、技量のある人はそれなりのものを見るし、技量のない人は大したことを見ることができない。これを多くの教師は錯覚する。自分が見た授業だから、自分はすべて見えていると思い込む。そして、見当外れの批評をする。

他人の授業を批評するということは、批評した人間も批評されるということなのである。技量が低い人が見れば、一般的なこと、どうでもいいことしか見えないからである。(P.180)

☞背筋が伸びる思いがする。「あれども見えず」になっていないだろうか。

 

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大学1年の頃からもう何度読み返してきたか分からないが、「授業・学習指導」の学び直しを始めるにあたって、最初に立ち返るのはこの本しかないと思った。

やはり、新しい発見がある。

細分化の原則は単にスモールステップを謳っているのではないということ。

「根拠を持って数値で示せ」て初めて、実態をつかんだといえるということ。

…etc

最後に引用した「技量のある人はそれなりのものを見るし、技量のない人は大したことを見ることができない」という箇所は、本についても当てはまると思う。

 

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